システムインテグレータの歩み Our Story

創業からのストーリー


01

日本初のERPを企画・開発したふたりが創業

前職で日本初のERPを企画・開発した梅田(現会長)と碓井の2人で創業。

埼玉県、南浦和の小さな事務所で3名からスタート。

梅田の自宅が南浦和にあったからです。

02

最初のパッケージ「SI Web Shopping」をリリース

1996年、楽天の創業やAmazonの日本進出よりも早くECサイトのパッケージであるSI Web Shoppingをリリース。
もちろん日本初のECサイト構築パッケージ。
前職で開発した日本初のERPは、「これからクラサバのシステムが来る」と先読みし、先駆けすることで成功しました。
開発を検討し始めた1995年当時は、Windows95がリリースされた年で、インターネットが徐々に広まり始めていたタイミングでした。
前職での成功と同じように新しい技術トレンドに乗ること、得意の基幹業務とインターネットを組み合わせて考えた結果、電子商取引という発想になり、開発。
当時はインターネットでモノが売れるわけがない、そんなことも言われていました。
1996年にリリースして2000年にネットバブルが到来するまでは、あまり売れませんでした。早すぎたから、でしょうか。 でもいつかインターネットでモノを売る時代が来ると信じて、地道にバージョンアップしていたら、ネットバブルで爆発したんです。
今では大規模なECを中心に1,100サイト以上に採用されるサービスになりました。

03

データベース開発支援ツール「SI Object Browser」をリリース

SI Object BrowserはGUIでデータベース開発が行える開発支援ツール。
前述した日本初のECサイト構築パッケージSI Web Shoppingはjava oracleで開発していました。
そのOracleのツールがCUIベースで、GUIで開発生産性を高めたいと思い、社内向けツールとして開発したのがこのSI Object Browserなんです。
社内ツールなので、最初から商品として販売する前提ではありませんでした。
機能アップしているうちに、結構売れるのでは?と思い、バージョン3から市場にリリース。
当時は知名度がなかったので、最初はほとんど反応がありませんでした。
そんなあるとき、ボーランド社から分厚いDMがきており、ボーランド製品の最後に他社製品が2つ紹介されていたんです。
これを見て、「あ、ボーランドって、自社製品以外も販売しているんだ」と思い、2月の大雪の日にボーランド社に雪にまみれながら訪問。
「この製品Delphiで作っているんだけど売りませんか?」と交渉し、取り扱ってもらえることになりました。
それまでの自社でのDMは、たった1000社にしか届けられず、かつ宛名もシステム担当者宛。反応もあまりありませんでした。
ボーランドのDMはエンジニアに対して直接届く。年に20万件くらい届けられるそうです。
これで認知してもらい、売り上げが伸びていきました。
今ではデータベース開発支援ツールとしてとても有名な製品に。2万社以上、45万ライセンス以上も売れている、社名よりも有名な製品かもしれません。
oracleの開発者なら一度は触ったことがあるのでは? 今でも多くのデータベース開発の現場を支えているツールになりました。

SI Object BrowserロゴとPCを操作している写真

04

ネットバブルの崩壊

2000年からのネットバブルで、ビジネスモデルだけで投資家から資金調達し起業する会社が増えました。
そんな企業から、いっしょにやりませんか、とそのビジネスモデルを支える仕組み開発の相談がきていたんです。
実際にきちんとしたシステムをつくるには、ノウハウの積み重ねが必要だし、エンジニアの育成だって時間がかかる。
そのノリでは、組んでもなかなか成功は難しいと考え、あまりそういった話には乗りませんでした。
案の定、バブルが崩壊し、そうした会社はなくなっていきました。
やはり市場はシュリンクしてしまい、2年ほど影響があったように思います。
赤字にはならなかったものの、ちょっと数年伸び悩んでしんどい時期でした。

05

ついにERPビジネスに参入

2002年に現社長の引屋敷がジョイン。
引屋敷も前職で梅田や碓井と一緒になり、ERPを販売していた仲間です。
そして、もう一度ERPビジネスをやることになり、当時まだなかった、ブラウザで動作する画期的なERP開発のプロジェクトがスタート。
梅田と碓井を中心にグランドデザインから開発まで1年半を費やし、Web-ERP GRANDITを完成させました。

武蔵浦和オフィスのイメージ

武蔵浦和に移転

それまで、人が増えては南浦和で引っ越しを繰り返していた当社。
GRANDITの完成とともに、30~40人に社員が増えたので武蔵浦和のタワービルにお引っ越し。
もっと成長することを見越して、広々としたフロアのところに決めました。

06

大阪支社を設立

2004年にリリースされたGRANDITビジネスが順調に拡大し、大阪の案件も増えてきたので、大阪に新しく拠点を立ち上げました。
大阪支社長として知り合いをスカウトし、こちらから優秀なエンジニア4人異動してもらって、5名でスタート。
最初に大阪市中央区の北浜に事務所を構えます。ここから、どんどん開発案件が増えていきました。

大阪支社-仮の写真

07

ついに上場

もともとは、あまり上場は考えていなかったんです。
でも設立から10年くらいがたった2005年ごろ、ふと社内を見ていた時にみんなの成長を実感。
じゃあ上場を目指そうかということで、幹事証券会社と監査法人を急遽探し、とんとん拍子で2006年にマザーズに上場。
ERPをやっている会社で、社内業務が非常にクリーンだったことで、証券会社がとっても後押ししてくれて、とんとんと進んでいきました。 

グラフが上昇している写真

08

プロジェクト管理ツールOBPMをリリース

SI Web Shoppingの仕事がだんだん規模が大きくなっていきました。
当初は1案件数百万円だったものが、数千万円から1億円という規模に。
GRANDITも当初数千万円だったものが、1案件3億円と規模が大型化。
大きな規模になるとどうしてもプロジェクトの失敗が増え、これが経営の最優先課題に。
プロジェクト管理を徹底しなくてはならなくなり、すでにあるツール検討したがいいツールがなかったので、梅田が中心となり1年ちょっとで開発。
もともと社内向けツールとして検討が始まったものの、OBPMは最初から外販も想定して作っていきました。
これのおかげで、失敗プロジェクトも激減して会社としての大きな成長につながっていった。
社長がみんなのためにと作ったのに、最初はなかなか使ってもらえなかった。
ただ今では、これなくしてはプロジェクト管理をどうしていいかわからないくらいに浸透している。
OBPMはプロジェクト管理のガイドラインpmbokに準拠。複数の開発プロジェクトの進捗や採算・リソースを管理できる画期的なツールは、多くのシステム開発の現場を改革していきました。

09

リーマンショック

SI Web Shoppingは、割と景気変動に強い製品です。稼がなければならないときに必要とされるから不況時も強い。
GRANDITは不景気に弱い、投資が抑えられてしまう、我慢されてしまう。
リーマンショックみたいなことがあるとGRが落ち込み、SIWSが伸びるという感じでした。
創業15目にしてはじめての赤字決算も経験。
でも今振り返ると、悪くない赤字だったのではないでしょうか。お陰で、ずっと黒字できていた中のゆるみや無駄が引き締まりました。
このときの引き締め、筋肉質な体制への移行がここからの成長につながりました。

株価が下がっている写真

10

渋谷区恵比寿に東京営業所を設立

やっぱ営業は東京だよね、と営業所設立の検討をスタート。
最初は五反田で検討していましたが、気付けば恵比寿で決定していました。
結果的に恵比寿は人気もあって、お客さんに来てもらうにも便利で好評、採用面でも効果があって良かったです。

11

東証一部に上場

2014年にマザーズから東証一部に変更。
東証の方針で、会社が成長しているため東証二部を目指そうとしていました。
このとき一部の条件が緩和されていて、数値条件が一部でも大丈夫な水準に。
そんな中証券会社が背中を押してくれて、一部に上場することを決めたんです。
ただ、一部上場の企業になったものの、まだ会社は小さい。ここで満足せず、一部上場企業にふさわしい会社を目指そうと社員といつも話していました。

12

本社・大阪支社移転

引っ越した当初すごく広く感じた武蔵浦和もいつの間に社員が増えて、手狭に。
そこで、さいたま新都心の広いオフィスに引っ越し。このときの本社メンバーは100名くらいでした。
大阪支社もすごく広かったのに、狭くなったので同年にお引越し。

グリーンなオフィス外観の写真

13

AIに参入

2018年ごろ、日本でもAIブームが到来。
いよいよビジネスシーンに活用可能な技術水準まで来て、これからAIの時代が確実にくると判断し、AIに参入。
専門部隊を立ち上げたのが2018年のころでした。
AIならなんでも…というわけではなく、AIだからこそできるという製品を生み出すということで、AISIA-ADという異常検知サービスを始めました。
社長の梅田がAIについての知識・ノウハウを書籍化した『エンジニアなら知っておきたいAIのキホン』がベストセラーに。
ただ、AISIA-ADはAIが一番得意な画像認識を使ったプロダクトではあったものの、実用化レベルに至る水準を実現するのが難しく、今も投資を続けています。
実用化レベルのものを出せるようになってきており、明るい兆しが見えてきたところです。

14

新製品を続々リリース

プログラム判定スキルサービス、アイデア創出プラットフォームなど、新しいサービスを続々とリリース。
ひとつのプロダクトに特化する企業が多い中で、時代に合ったプロダクトを企画し、次々とリリースするところがシステムインテグレータの特徴です。

白い扉の画像

新型コロナウイルスの流行

もともとリモートワーク制度は導入しており(2017年にリモートワーク先進100社に選ばれたことも!)スムーズに制度を取り入れられました。
近頃はコロナの流行も落ち着いてきたけれど、リモートワークを取り入れた働き方は定着しています。

15

福岡支社の設立

コロナでリモートワークが定着したことで開発のロケーションの自由度が増し、
IT人材の採用競争が激化しているのもあり、福岡にGRANDITの案件も多い福岡に3つ目の拠点を設立。
想定以上に優秀な人たちに集まってもらえて、今急速に大きくなりつつあります。
このタイミングで、3拠点以外にもリモート採用(遠隔地採用)も拡大しており新しく作った同じ九州の中でも遠隔地にいるメンバーも。

海外のオフィスイメージ

ベトナムに子会社設立

長期的なビジョンとして、ベトナムのリゾート地であるダナンに子会社を設立。当社設立以来初の子会社であり、初の海外(オフショア)開発拠点です。
4年前から拠点としてはベトナムに狙いをつけていて、国立ダナン大学の優秀な学生を2,3名採用続けていた中、満を持しての拠点設立でした。
非常に順調に立ち上がって、半年で10名を超える優秀なエンジニアに集まってもらい開発しています。この先50名、100名にしていき、当社の大きな開発パワーにしていく予定です。

まだまだこれからも成長していきます!